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理香庵駄文録

興味があること、おもしろいと思ったことを気が向いたときに... 理香庵駄文録へようこそ。

博物館つながり、今度はヒコーキ

前回は15年前のメルセデス・ベンツ博物館でした。

さて、このころは頻繁に海外出張をしていて、アメリカにもよく行っておりました。

ある時の出張で、半日だけ一人で自由になる時間ができたことがあって、これぞチャンスとばかり、ChinoのPlanes of Fame Air Museumに行ってきました。一昨年(2013)所沢にやってきた、オリジナルの栄エンジンで飛行可能なゼロ戦を保有していることで有名ですね。ヒコーキ好きにとってはたまらない博物館の一つです。

以下、15年前にPlanes of Fame Air Museumで撮った写真です。

知ったかぶりをして解説をつけてありますが、尊敬する佐貫亦男せんせーの著作(『飛べヒコーキ』、『ヒコーキの心』三作(いずれも光人社NF文庫))とWikiからの引用です。ところどころ、私のたわごとが混じってます…

さて、一つ目。

局地戦闘機、三菱『雷電』です。主務設計者はかの堀越二郎。Chinoにあるのは現存する唯一の機体。

局地戦闘機とは『陸上基地に対する敵爆撃機の来襲を迎えて急いで上昇して迎撃する』ヒコーキのこと。

雷電の宿命ともいえる難題は、直径の大きな『火星』エンジンを装着するにあたり、プロペラ軸を延長したために生じた振動。もう一つは尾輪引き込み時に昇降舵の操作索が押さえつけられて昇降舵が作動不良になったことによる墜落(墜落の原因がこれだということがなかなかわからなかったらしい)。

不具合が改良された雷電は高度6,000mまで5分38秒(ゼロ戦は7分強)という当時最高の上昇性能を備え、高高度で来襲するB-29に有効な迎撃ができるたのは雷電だけといってよかったのだそうです。総生産機数500機あまり。

ふたつめ。

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ノースアメリカンP-51Dマスタング

1940年にアメリカを訪れた英国航空機購買団が、頑丈なだけで性能の悪いカーチスP-40の代替機を所望したのが誕生のきっかけだとか。

この要望に応じたノースアメリカン社が契約後わずか117日で機体を完成させ、その1か月半後にアリソン1,100馬力のエンジンをつけて初飛行。

エンジンをロールスロイス・マーリンに換装し、水滴型風防になったD型がヨーロッパ戦線で活躍を始めたのが1943年。

大戦末期には硫黄島から離陸した戦闘機隊だけで東京空襲をしたそうです。

第二次大戦後は朝鮮戦争でも活躍。今でもリノのエアレースで活躍してますね。

航空機の推進技術の趨勢はジェットに移っていきます。

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メッサーシュミットMe-262 Schwalbe(シュヴァルベ)。ツバメです。

着想は1938年秋。設計完了は1939年夏。1941年4月に機体の試作完了。でもジェットエンジンが間に合わず、機種にピストンエンジンを付けて飛行試験。

その年(1941年)11月、待ちに待ったジェットエンジン(BMW109-003)を装着して(ピストンエンジンは付けたまま)その月のうちに試験飛行。この時はエンジン二台のタービンブレードが飛んで飛行は失敗。翌1942年7月にエンジンをユンカース・ユモ109-004に付け替えてようやくジェットエンジンだけで試験飛行成功。

ところが、このときすでに、ハインケルが機体、ジェットエンジン共に自社開発のHe178を1938年8月に世界で初めて飛行させ、さらに1941年4月には双発ジェット戦闘機He280を初飛行させておりました。しかし、ドイツ空軍省の政治的思惑のためにハインケルは日の目を見なかったのだとか。

その後もヒトラーや政府の決断のまずさから、ようやく量産型がロールアウトしたのは1944年5月。爆撃機として使われて重く遅くなったために連合国戦闘機の餌食になったりした後、戦闘機として使用しても構わぬという命令が下ったのはドイツ敗戦の1か月半前。でも、そもそもパイロットがいなかたんだとか。

お次はイギリス。

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ロスターミーティア(Gloster Meteor)。流星ですね。

ロスター・エアクラフト社による連合国軍側初の実用ジェット戦闘機。メッサーシュミットMe-262に遅れること数週間で実戦配備されたそうな。

機体自体には革新性なんてなかったそうです。1942年春に8機の試作が開始されたものの、こちらも搭載予定エンジンのごたごたで計画は大幅に遅れ、予定と違うエンジンを仮に積んで、1943年3月にようやく初飛行。

量産型のエンジンスペックを見てみると、ロールスロイス・ウェランド遠心式ターボジェットエンジン2基とあります。現物らしいガラクタが置いてありますね。

なんと遠心式ですよ。圧縮機が遠心式。ターボチャージャーに使われているアレです。エンジン径がデカくなるし、流れの向きがのたくって非効率。ユモの軸流式のほうが先進的です。

なんの取り柄もないヒコーキだったみたいですが、それ故にプロペラ機からの乗員移行が容易だったらしくて各国空軍が初導入するジェット戦闘機としてもてはやされ、1954年まで3,900機も生産されたんだそうです。ベストセラー=高性能傑作機とは限らないってことね。わからんもんだ。

ドイツ製をもう一つ。

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ハインケルHe162。

はっきり言って変なかっこです。

開発中のコードネームはザラマンダー(Salamander、火トカゲ)、その後ハインケルからはシュパッツ(Spatz、スズメ)とも呼ばれた。似てないねぇ。

1944年12月に初飛行に成功したものの、4日後の公開飛行の時、右主翼前縁が裂けて補助翼と翼端が飛散。機体は数回の急横転後地面に激突。原因は木部の接着不良。初飛行後の総点検を空軍省が許可しなかったことが生んだ悲劇。

なお、射出座席が初めて装備されたのはこの機体だそうです。

その後、不具合が改良されて量産は地下工場で着々と進んだものの、訓練中または部隊編成中に敗戦。部隊は幻の連隊が多くてはっきりせず、飛行中の写真すら1枚しかないんだそうです。

さらに、ジェットからロケットに進みます。

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メッサーシュミットMe163コメート(Komet、彗星)。

鼻先に発電機のプロペラが付いています。私には彗星よりモグラに見える。

敵爆撃編隊が接近すると離陸して急上昇。離陸に使った車輪は離陸後投棄。着陸は胴体下部のスキッド(そり)を使う。相当不安定だったらしい。

防御範囲は半径80km。上昇後は敵機の1,000m上空から高速滑空(えっ!)して攻撃。上昇後の航続時間はわずか2分半。燃料を使い切ったあとは重鈍なグライダーで着陸時と着陸後(車輪がないから動けない)は連合国戦闘機の格好の餌食。

無事着陸にこぎつけたとしても、燃料の過酸化水素が残っていると着陸時の衝撃で爆発。そもそも燃料の高濃度過酸化水素ヒドラジンには強酸さながらの腐食性があり、漏れた燃料を浴びて全身に重傷を負ったパイロットもいたんだとか。ヒドラジンなんて名前を聞いただけで劇薬っぽい。

戦争というのは恐ろしいものを作り出すものです。生産機数370機。

この危なっかしい兵器を日本も作ろうとします。

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秋水。製造は三菱航空機

ドイツから供与されたMe-163の設計資料は運搬を担った伊号潜水艦が撃沈されて届かず、一部飛行機に積み替えられた資料だけが届き、完全にコピーすることはできなかったのだとか。

でも、無尾翼機とかロケットエンジンとかの研究は日本でも独自に進めていて、物資のない状況下でなんとか完成させて初飛行にまでこぎつけた(失敗だったらしいけど)というのがすごいといえばすごい。

Chinoにあるのは終戦後に米軍が持ち帰ったもの。ほぼ完全な形で残っています。

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